ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が始まったのは1992年。
そして終結したのは1995年の春。
その時僕は小学生でした。(10歳~13歳)
と言っても遠い外国のことなどほとんど記憶になく、
社会の授業は好きだったのに何も覚えていません。
どうしてでしょう?
僕が不真面目だったのか、
それとも日本人にとっては外国で起きていることは
はるか遠く宇宙の果てで起きていることのように感じるのでしょうか。
戦争が終結して15年が過ぎているにも関わらず、
モスタルの街にはいたるところに戦争の傷跡が残っています。
ほぼ全ての建物に銃弾の跡があり、
半壊してるもの、廃墟となっているものなど15年前のこととは思えません。
全ての建物に銃弾の跡があるってことは、
本当に凄まじい銃撃戦だったのでしょう。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は3つの民族の間で起きました。
セルビア正教会のセルビア人、カソリックのクロアチア人、
イスラム教のボシュニャク人。
この内戦での死者は約20万人、難民・避難民は200万人にも及んだらしい。
ちなみにモスタルではクロアチア人とボシュニャク人の間で激しい戦闘が起きた。
もともとクロアチア人とボシュニャク人はセルビア人勢力に対抗するために、
手を組んでいたのだが、
ボシュニャク人との間で対立が高まり始めるとセルビア人と同盟を組み、
モスタルのボシュニャク人地区は壊滅的な大打撃を受けたらしいです。
Wikipediaの中から「民族浄化」について引用したいと思います。
『「民族浄化」とは、異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、
紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、
支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、
勢力圏を民族的に単一にする「民族浄化」が行われた。
「民族浄化」は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、
家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、
その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、
強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。
従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。
また、女性らは強制収容後、組織的に強姦を繰り返し、
妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。
家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、
女性を強姦によって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた。』