ROUND THE WORLD

カテゴリ:31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編( 4 )

サラエヴォ包囲

小高い山に取り巻かれているボニスナ・ヘルツェゴヴィナの首都、

サラエヴォはその地形ゆえに戦争中大きな被害を受けることになる。

12,000人が死亡し、50,000人が負傷したと推定されており、

そのうちの85%が市民だった。
a0154765_23163527.jpg


サラエヴォ入りして僕が最初に向かったのは、

サラエヴォ・トンネル。

街を完全に包囲されて、地区の孤島と化してしまったため、

食料などの物資を調達することが困難だったサラエヴォ市民を救ったのが

このトンネルだと言われているそうです。

このトンネルは国際連合がその当時管理していたサラエヴォ空港の下を通り、

武器&戦闘が禁止されていた別の街につながっていたそうです。

全長約800m、高さ1.6m、幅1mのトンネルを約4カ月かけて、

市民とボスニア政府軍で掘ったそうです。

博物館は国ではなく民間人が管理&運営しているのだけど、

こんなに重要だったトンネルを

(個人的には)なぜ国が保存&管理しないのかちょっと疑問でした。

戦争の悲惨さをいつまでも後世に伝えるためにも、

きちんとした保全&管理して欲しいなーと思います。
a0154765_23144524.jpg

a0154765_23152367.jpg
a0154765_2315387.jpg
a0154765_2316331.jpg
a0154765_23161748.jpg


またサラエヴォには『スナイパーストリート』なる名前がつけられた道があります。

名前の通り戦争中にスナイパーがその通りを通る人を

狙撃&殺害していたためそのような名前がついたそうです。

この通りにはその当時ジャーナリストが滞在していたというHoliday Inがあり、

ここもかなりの銃撃のあとが残されていました。
a0154765_23165558.jpg


サラエヴォでは1984年、冬季オリンピックが開催されました。

もちろん僕はその当時、2歳なのでまったく記憶にありませんが、

そういうオリンピック中に建てられた施設も例外なく大きな被害を受けました。

スケートリンク場があった会場の近くに予備のグラウンドが設けられていたのですが、

戦争中、遺体を埋める場所がなかったため、

たくさんの遺体がここのグランドに埋葬されました。

お墓の周りをぐるりと歩くと、

全て1994年&1995年に死亡となっていることに気づきます。
a0154765_23181457.jpg

a0154765_2319110.jpg

a0154765_23183674.jpg


モスタル同様、サラエヴォでも全ての建物に銃撃のあとが残されていました。

その銃痕を見るたびに、ここでの戦闘の激しさが目に浮かび、

心が締め付けられる思いがしました。
a0154765_23173732.jpg


日本は第二次世界大戦を経験し、

戦争について学ぶべきことはたくさんあったはずなのに、

旅に出るまでは戦争というものをあまり理解していなかったような気がします。

どこか遠い昔のことで、遠い世界のことのように感じていました。

今こうやって世界を旅してみて、

戦争に悲惨さ、恐ろしさを痛いほど感じます。
[PR]
by world_journey | 2010-07-23 12:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編

コンサート

橋のたもとで出会ったピアニスト天平さんが

今夜モスタルのコンサートで演奏するということで行ってきました!

このコンサートの前進はとあるイギリスの音響会社が、

戦後5年に、復興の一環で行ったものに関連していて、

15年経った今、モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはどう変わったか

を確認するためのものでもあるらしい。

2000年のモスタルはまだまだ酷いもので、

道は整備されておらず、

いたるところに爆撃のあとが残されデコボコの道、

破壊された建物・・・本当に酷いものだったそうです。


今でも戦争の傷跡はいたるところに残されているけど、

今はだいぶ街らしくなってきたと音響会社の方がおっしゃってました。


コンサートの最初の1時間弱は未来のスターを発掘?というようなコンセプトに、

地元の学生やバンドが歌唱または演奏し、

1番を決めるというものでした。

みんな自分の知り合いが出るときにはステージの近くまで行き、

結構盛り上がっていました。

その後、天平さんの演奏、

そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナで1,2位を争うぐらいの人気があるバンドが演奏し、

コンサートは12時過ぎに終了しました。


コンサートの活気を感じていると本当にここで大規模な内戦が起きていたなんて、

それぞれの民族が殺しあっていたなんて信じられません。

聞くところによるとコンサートにはクロアチア人&ボシュニャク人どちらも来ているらしいです。

今でも住んでいる地域を違えている(橋を境に分かれているらしい)2つの民族ですが、

こうやってどんどん壁がなくなっていって欲しいです。


そうそう、

戦後5年のコンサートの時は、

かなり厳重な警戒態勢のなかでコンサートが行われたらしいです。

今回もありましたが、

ボディーチェック、荷物チェックにはかなりの時間をかかったらしいです。

もちろんその時もクロアチア人、ボシュニャク人両方来ました。

しかしその当時はまだ戦後5年と、少しぎくしゃくした様子はあったらしいですが、

その時のバンドが2つの民族が知っている共通の曲を演奏した時、

彼らは一緒にその曲を熱唱したそうです。
a0154765_1637775.jpg
a0154765_16372666.jpg
a0154765_16373968.jpg
a0154765_16375518.jpg
a0154765_16381270.jpg
a0154765_16382711.jpg

[PR]
by world_journey | 2010-07-22 13:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編

その時僕らは・・・

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が始まったのは1992年。

そして終結したのは1995年の春。

その時僕は小学生でした。(10歳~13歳)

と言っても遠い外国のことなどほとんど記憶になく、

社会の授業は好きだったのに何も覚えていません。

どうしてでしょう?

僕が不真面目だったのか、

それとも日本人にとっては外国で起きていることは

はるか遠く宇宙の果てで起きていることのように感じるのでしょうか。


戦争が終結して15年が過ぎているにも関わらず、

モスタルの街にはいたるところに戦争の傷跡が残っています。

ほぼ全ての建物に銃弾の跡があり、

半壊してるもの、廃墟となっているものなど15年前のこととは思えません。

全ての建物に銃弾の跡があるってことは、

本当に凄まじい銃撃戦だったのでしょう。


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は3つの民族の間で起きました。

セルビア正教会のセルビア人、カソリックのクロアチア人、

イスラム教のボシュニャク人。

この内戦での死者は約20万人、難民・避難民は200万人にも及んだらしい。


ちなみにモスタルではクロアチア人とボシュニャク人の間で激しい戦闘が起きた。

もともとクロアチア人とボシュニャク人はセルビア人勢力に対抗するために、

手を組んでいたのだが、

ボシュニャク人との間で対立が高まり始めるとセルビア人と同盟を組み、

モスタルのボシュニャク人地区は壊滅的な大打撃を受けたらしいです。
a0154765_15494726.jpg
a0154765_1550731.jpg
a0154765_15502280.jpg
a0154765_15503968.jpg
a0154765_15505740.jpg
a0154765_15511339.jpg
a0154765_15512843.jpg
a0154765_15514474.jpg

a0154765_15525484.jpg
a0154765_15531192.jpg
a0154765_15532830.jpg


Wikipediaの中から「民族浄化」について引用したいと思います。

『「民族浄化」とは、異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、

紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、

支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、

勢力圏を民族的に単一にする「民族浄化」が行われた。

「民族浄化」は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、

家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、

その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、

強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。

従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。

また、女性らは強制収容後、組織的に強姦を繰り返し、

妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。

家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、

女性を強姦によって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた。』

[PR]
by world_journey | 2010-07-22 12:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編

世界遺産の石橋

ドブロブニクから3時間バスに揺られ

ボスニア・ヘルツェコビナのモスタルという町にやってきました。

最初は首都のサラエボに向かう予定でしたが、

なんとなく、なんとなくモスタルがやってきました。

モスタルがサラエボまでの途中にあることもあるということもあり、

移動にも都合がよいということもありました。


そんななんとなく来たモスタルでしたが、

モスタルを流れる川が地元の川を思い出させ、

なんだか優しい気持ちになり、

自分の心に従い、もう1泊プラスすることにしました!

何時間見ていても飽きない、そんな感じでした。
a0154765_4151685.jpg
a0154765_4155891.jpg

a0154765_4182516.jpg

a0154765_4192697.jpg


そしてここでは一人の日本人のピアニストに出会いました。

石橋がある旧市街を散歩し、

川のほとりでぼーっと川を眺め、

ボスニア料理に舌鼓を打ったあと、

アイスをむさぼりながら石橋を越えてホステルに戻ろうとしている時でした。

橋のたもと付近で2人のアジア人が電子ピアノのセッティングをしていました。

服装からなんとなく日本人かなーと思い、

せっかくだから演奏を聴いてみようと橋の近くに座ることに。
a0154765_4195710.jpg


演奏が始まると・・・、

僕は衝撃を受けちゃいました。

ぜんぜんピアノの演奏とかわからない僕だけど、

どんどんその演奏に、音楽に引き込まれていく自分がいるのを感じました。

その瞬間はその日で一番キレイな瞬間でした。

そこには歴史を感じさせてくれる石橋、

真っ赤な夕日、

そして心をギュッと掴み離さない音楽、

まさにその日一番の最高の瞬間でした。
a0154765_4202641.jpg


あまり自分から進んで話しかけていかない僕ですが、

今日は話したい!という衝動にかられ、

演奏が一時中断したとき、

思いきって話かけることにしました。


彼は現在、ニューヨークと東京を活動拠点にし、

音楽活動をしているプロのピアニストでした。

今回は日常の生活に音楽が染みついているだろうヨーロッパに、

数か月かけてストリートパフォーマンス&コンサートのために来ているらしいです。


本当に素敵な音楽を奏でる人で、

生まれて初めてこういう音楽に引き込まれていった気がします。

なんだか新しい世界が始まりそうです!
a0154765_4205134.jpg
a0154765_4211278.jpg

[PR]
by world_journey | 2010-07-21 12:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編