海外の歴史に疎い日本人でもアウシュビッツを知らない人は
少ないのではないかと思います。
旅に出る前、ポーランドのことをほとんど知らなかった僕ですが、
アウシュビッツだけは絶対に外せないと思っていました。
僕はこの場所を自分の目で見なきゃいけない気がしていました。
アウシュビッツはもともとポーランド軍の基地として使われていたそうです。
始めナチスドイツはアウシュビッツをポーランドの知識者や
反ドイツなどの政治犯の刑務所としてを使っていました。
それはいずれ多くの人が知るようにユダヤ人の強制収容所、
そしてDeath Camp(死のキャンプ)と変わっていきます。





朝と夕方広場でオーケストラの演奏があったそうです。
もちろん娯楽のためではありません。
音楽に行進をしつつ収容者の数を数えたそうです。
もし夕方の人数が朝と同じでなければ数がそろうまで(逃げたものが見つかるまで)、
何時間でも行進を続けなければいけなかったらしいです。

壁に向かって立ち政治犯などが銃殺された場所

見せしめの首つり場
ここにはヨーロッパ中からユダヤ人が連れて来られ、
大変な労働に従事したり(食事を十分に与えられることなく)、
でも多くのものは連れて来られてすぐに殺害されました。


キャンプに到着すると専門の軍医が右と左の列に人々を分けて行きます。
軍医より向かって左のものは元気で働けるもの、
右は老人や子どもなど労働力にならないものたちが並ばされ、
右に並ばされたものにはつまり死を宣告されたも同然でした。
しかしそんなことを知らない彼らは混乱することもなく、
シャワーを浴びると言われ、
持ち物預け、服を全て脱ぎ、
ガス室へと自らの足で進んで行くことになります。
持ち物はそのまま連れてこられた列車につまれドイツ本国へと送られ、
再利用されたそうです。




荷物をあとで探さなければいけないと思いみんな大きく名前を書いていたらしいです


アウシュビッツに到着したばかりの右側に並ばされた子どもたちの
安堵の表情にすごく心を締めつけられました。
何十時間も電車の中に詰め込まれ、
(電車のなかはもちろんトイレも休憩も食事もない)
やっと目的についた安堵の表情だったはずなのに、
彼らの命は無情にも数時間後に奪われてしまうことになるんです。

この小さな車両に約100人詰め込まれたそうです

ガス室
命が奪われる理由がユダヤ人だからというそれだけなんて、
理解できるわけありません。
そしてそんなことがあってよいわけがありません。
人間はなんて恐ろしくなれるのだろうと何も言葉にできませんでした。


経費削減のために一度も使われなかったコンロ

収容人数が多かったため看守が数秒カウントしその間でトイレを済ませなければならなかった
もちろん自由にトイレにいけることもなく、朝と夕の数秒間


ガス室に向かう階段。この階段を下りると二度と出てくることはなかったそうです