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カテゴリ:36.ポーランド編
  • ポーランドホームステイ生活 3日目
    [ 2010-08-10 22:46 ]
  • ポーランドホームステイ生活 2日目
    [ 2010-08-09 12:00 ]
  • ポーランドでホームステイ
    [ 2010-08-08 13:00 ]
  • コペルニクス
    [ 2010-08-08 12:00 ]
  • トルン音楽祭
    [ 2010-08-07 13:00 ]
  • ワルシャワ
    [ 2010-08-07 12:00 ]
  • イスラエルという国
    [ 2010-08-06 12:00 ]
  • アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
    [ 2010-08-05 12:00 ]
  • クラクフ
    [ 2010-08-04 12:00 ]
ポーランドホームステイ生活 3日目
今日は朝からシュチェツィン市内観光です。

今日も仲良くバーテックとトマックと3人でお出かけです。

トマックはお兄ちゃんの子分みたいな扱いなので、笑

少し可愛そうですが、

2人ともとても仲良しで見ていて微笑ましいです。


今日は古い教会や宮殿を回り、

キレイな公園などを散歩しました。

この日知ったのですが、シュチェツィンはもともとドイツ領だったらしいのですが、

第2次世界大戦後にドイツ領を減らす目的もあり、

ポーランドに併合されたらしいです。

たくさんドイツ人いたけど、

実は少し複雑な心境なのかな・・なんてことを考えちゃいました。



お昼は家に帰り、

お母さん特製のザワークラウトを頂きました!

これがまじでうまい!!

どう表現していいのかな。

キャベツをしなしなになるまで炒め&煮込んだ感じかな。

野菜のうまみがすごくでていて味は少し濃いめなのだけど、

ゲキうまでした!


実はボーテックの家は運送会社をやっている傍ら、

馬を15頭飼っていて、乗馬のビジネスもやってます。

そんなわけで馬に乗せてもらっちゃいましたよーー!!

アメリカにいた時に1度だけ教授の家で乗ったことあるだけだったけど、

一応乗れました。笑

でもせっかくなので30分のレッスンをしてくれるらしい!

もちろんタダですよ。



本当至れり尽くせりのホームステイ。

温かい布団があり、毎日3食付き(デザートも)、観光ガイド、

乗馬・・・。

スロヴァキアでほんの3時間話しただけなのに、

こんな素敵なポーランド生活を送れるなんて、

本当感動です。

最後はお別れの時に少し涙が出そうでした。

だって本当に楽しすぎて、みんな歓迎してくれて、

楽しすぎたんだ。


1日目はカメラに顔を向けてくれなかったお母さんだったけど、

最後の日には仲良しでした。

バーテック以外は英語喋らない家族だったけど、

言葉なんて通じなくても、

笑顔を心できちんと会話できていました。

またいつかおいでよ!

次は奥さん連れておいでね!って言われちゃいました。

絶対またいつか会いに行かなきゃ!



おまけ・・・

2日目の朝コーヒーをお願いした僕。

でも実はそれ以外の時間帯は紅茶お願いしていました。

そんなお母さんは3日目の朝、そのパターンに気付いたのか、

朝は何も言わずコーヒーを準備してくれました。

すげーーーー感動でした!

なんでこの人は俺が朝一はコーヒー飲みたいって

1日にしてわかっちゃったんだろうって感動しちゃいました。

こんな素敵奥さんが欲しいです!
by world_journey | 2010-08-10 22:46 | 36.ポーランド編
ポーランドホームステイ生活 2日目
今日はバーテックと弟のトマックと3人で、

電車で1時間ほどの国立公園に行ってきました。


ここは彼らが住むシュシェツィンの一番の観光名所らしく、

ヨーロッパバイソン(ちょーデカイ!)が飼われている敷地もありました。

サラサラの砂のビーチがあるここはドイツ人観光客もたくさんくるとか。

高いホテルは全てドイツ人しか泊まんないんだよーとバーテックが言ってました。

一日数百ユーロするらしいです。

たしかに一般ポーランド人が泊まれる価格じゃないね。


ここにはポーランドの有名人の手形がある公園もありました。

アメリカでいうハリウッド?にあるどこかのストリートみたいです。

僕は全然ポーランド人俳優&女優&歌手を知らなかったので、

全然興奮しなかったですが、

けっこう人混みがすごかったです。



夕方はバーテックのお母さん手作りのポーランド料理を堪能しました!!

ポーランド風カツレツとポテト、

チキンなどがでました。

どれも美味でお腹いっぱい食べちゃいました。

最後はデザートのチョコレートケーキもでてきて、

もー至れり尽くせりです。



夕食後は少しゆっくりしバーテックの行きつけのパブに行きました。

ハニービール(はちみつビール)なるものを飲んだんだけど、

なんか甘くて飲みやすくてうまかったです。

あまりビールは好きなほうではないですが、

けっこう美味しくいただけました。

ビールはどこかの工場で大量生産したものじゃなくて、

地物で作っているものらしく、

すげー新鮮なものらしい。
by world_journey | 2010-08-09 12:00 | 36.ポーランド編
ポーランドでホームステイ
今日から3日間、スロヴァキアのブラチスラヴァで出会ったポーランド人兄弟の家に

ホームステイすることになりました!!

同室になり話したのはほんの3時間ほどだったけど、

遊びにおいでよーっていう言葉に甘えて、

お邪魔することにしました。


部屋も用意してくれて(弟のトマックの部屋・・・ゴメンね)、

もう快適度MAXです。

夜8時頃着くと、

簡単な軽食を準備しててくれて、

みんなで一緒につまみました。

まじ幸せ・・・。

チーズとネギの手作りのスプレッド(パンに塗るやつ)

お母さんはカメラに顔を向けてはくれない・・・(がーん)
by world_journey | 2010-08-08 13:00 | 36.ポーランド編
コペルニクス
ここトルンは地動説を説いたコペルニクスが生まれた場所です。

高校の時、地学を選択しけっこう好きな授業だったこと&

ミーハーな僕がまさか行かないわけがありません。笑

コペルニクスの生まれた家は現在博物館として、

その当時使っていた道具やコペルニクスの所持品などが展示されています。


当時では宗教的に天動説が当たり前で、

地動説を解くなんてありえない状況でした。

そんなコペルニクスも宗教裁判にかけられ、

その時は自分の主張を曲げることを選ぶけれど、

コペルニクスは地動説を確信していたはずです。


時代は常に移り変わり、

けして交わることのないコペルニクスと僕だけど、

同じ場所に立てたことで何かを少し共有できた気がして、

とても嬉しく思えました。

その当時、覆る思ってなかった常識を変えてきた偉人たちは本当にすごい!

僕も常識にとらわれすぎない人で常にありたいな。


おまけ・・

世界遺産のトルンの街並み
by world_journey | 2010-08-08 12:00 | 36.ポーランド編
トルン音楽祭
チェコ、プラハをやめてワルシャワに来たため、

どこに行くか迷った結果、

ポーランドの北西を目指しそこからベルリン入りすることを考え、

その途中にある世界遺産の街トルンに行くことにしました。


そしたらラッキーなことにトルン音楽祭をやっていて、

それも最終日ということで

たくさんの素敵な演奏や歌を聞くことができました。

サインをもらっている人もいたからかなりの有名人もいたっぽい。

言葉は違っても、

音楽や歌は素敵なものは素敵です!

街の雰囲気も音楽のパワーに包まれ本当気持ちよかったです。
by world_journey | 2010-08-07 13:00 | 36.ポーランド編
ワルシャワ
アウシュビッツを訪れたらチェコの首都プラハに向かう予定でしたが、

ポーランドという国のことをもっと知りたいと思う気持ちが強くなったので、

ポーランドの首都、ワルシャワに向かうことにしました。


ここワルシャワはナチスドイツがポーランドに侵攻した際、

そして第2次世界大戦中に大きな被害を受け、

街はほぼ形を残すことなくめちゃくちゃに破壊されてしまったそうです。

しかしここワルシャワは今世界遺産に登録されています。

ワルシャワ市民は戦後、

なんとか昔のワルシャワの街を取り戻すべく、

壁のヒビまでも完全に再現し、まったく同じ街がワルシャワに戻ってきました。

そのため建物は古く見えるのですが、

よくよく見ると新しいことがわかります。





そんなパワーに溢れたこの街を僕は一瞬で好きになりました。

この街ではキュリー夫人が生まれ育った家があり、

ショパンの家があったり

すぐれた人物もたくさん輩出しています。

キュリー夫人博物館(家)

ショパン博物館

ショパンのポーランド最後の家

きっと誰もがこのパワー溢れる街に心奪われるはずです。
by world_journey | 2010-08-07 12:00 | 36.ポーランド編
イスラエルという国
イスラエルのパレスチナ人に対する厳しい対応を見て、

怒りさえ覚えた僕ですが、

ヨーロッパでのユダヤ人に対するひどい仕打ちを目のあたりにし、

イスラエルがどうやってでも自分たちの国を築き上げていきたいという気持ちが

今は痛いほどわかる気がします。

残酷になるのは残酷になってでも生きていかなきゃいけないと思うからなのでしょうか。


でもできるなら、

できることならよくない歴史が繰り返されるような死を伴う解決方法ではなく、

平和的な方法であって欲しい。

誰よりも痛みを知る彼らであるからこそ、

平和的な方法でイスラエルとパレスチナの関係が良くなることを望まずにはいられない。

でもきっとそれは僕がユダヤ人じゃないから、

日本人だからそう思うのかもしれない。

僕がユダヤ人だったら、

本当に今思っていることと同じことが思えるのだろうか。

家族や同胞が殺され、迫害され続けていたとしたら、

僕は同じことを言えるのだろうか。


無責任な平和論者にならないように、

僕はもっと知らなきゃいけないことがたくさんあるようです。
by world_journey | 2010-08-06 12:00 | 36.ポーランド編
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
海外の歴史に疎い日本人でもアウシュビッツを知らない人は

少ないのではないかと思います。

旅に出る前、ポーランドのことをほとんど知らなかった僕ですが、

アウシュビッツだけは絶対に外せないと思っていました。

僕はこの場所を自分の目で見なきゃいけない気がしていました。


アウシュビッツはもともとポーランド軍の基地として使われていたそうです。

始めナチスドイツはアウシュビッツをポーランドの知識者や

反ドイツなどの政治犯の刑務所としてを使っていました。

それはいずれ多くの人が知るようにユダヤ人の強制収容所、

そしてDeath Camp(死のキャンプ)と変わっていきます。



朝と夕方広場でオーケストラの演奏があったそうです。

もちろん娯楽のためではありません。

音楽に行進をしつつ収容者の数を数えたそうです。

もし夕方の人数が朝と同じでなければ数がそろうまで(逃げたものが見つかるまで)、

何時間でも行進を続けなければいけなかったらしいです。

壁に向かって立ち政治犯などが銃殺された場所

見せしめの首つり場


ここにはヨーロッパ中からユダヤ人が連れて来られ、

大変な労働に従事したり(食事を十分に与えられることなく)、

でも多くのものは連れて来られてすぐに殺害されました。


キャンプに到着すると専門の軍医が右と左の列に人々を分けて行きます。

軍医より向かって左のものは元気で働けるもの、

右は老人や子どもなど労働力にならないものたちが並ばされ、

右に並ばされたものにはつまり死を宣告されたも同然でした。

しかしそんなことを知らない彼らは混乱することもなく、

シャワーを浴びると言われ、

持ち物預け、服を全て脱ぎ、

ガス室へと自らの足で進んで行くことになります。

持ち物はそのまま連れてこられた列車につまれドイツ本国へと送られ、

再利用されたそうです。


荷物をあとで探さなければいけないと思いみんな大きく名前を書いていたらしいです


アウシュビッツに到着したばかりの右側に並ばされた子どもたちの

安堵の表情にすごく心を締めつけられました。

何十時間も電車の中に詰め込まれ、
(電車のなかはもちろんトイレも休憩も食事もない)

やっと目的についた安堵の表情だったはずなのに、

彼らの命は無情にも数時間後に奪われてしまうことになるんです。

この小さな車両に約100人詰め込まれたそうです

ガス室


命が奪われる理由がユダヤ人だからというそれだけなんて、

理解できるわけありません。

そしてそんなことがあってよいわけがありません。

人間はなんて恐ろしくなれるのだろうと何も言葉にできませんでした。





経費削減のために一度も使われなかったコンロ

収容人数が多かったため看守が数秒カウントしその間でトイレを済ませなければならなかった

もちろん自由にトイレにいけることもなく、朝と夕の数秒間

ガス室に向かう階段。この階段を下りると二度と出てくることはなかったそうです
by world_journey | 2010-08-05 12:00 | 36.ポーランド編
クラクフ
36カ国目、ポーランドにやってきました。

スロヴァキアでポーランドの兄弟に教わった方法で

バスのチケット取ったら、たったの15ユーロで来れました!

これが電車だったら70ユーロぐらいします!

いやー、本当に感謝です。


そう言えば、

ここクラクフはトムが恋人と住んでいた街って話をしていました。

トムが日本語わからないから書いちゃうけど、

トムはその恋人が大好きで、

別れた時にこの場所にもう居たくなくて、

中国に英語を教えに行くことにしたらしいです。

意外に可愛いやつです。笑

なんか今でも未練があるっぽい感じだったので、

本当トムは彼女のことが大好きだったんだろうな。

そんなことを思いながら2人の姿を想像しつつ、

街歩きを楽しみました。


トムが話していたようにとてもキレイな街です。

でもクラクフにはもう一つの顔があることを忘れてはいけません。

ユダヤ人が強制居住されられていたゲトー(ユダヤ人居住区)がクラクフにはあります。

ゲトーはブロックで道を塞がれ陸の孤島と化し、

ユダヤ人の自由を奪いました。

この後多くの人が知っているようにナチスドイツは

ユダヤ人のジェノサイト(大虐殺)を行います。


明日はアウシュビッツに忘れてはいけない歴史を自分の目で見てきます。
by world_journey | 2010-08-04 12:00 | 36.ポーランド編