ROUND THE WORLD

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たった数時間だけど

今日は部屋で今後の作戦(予定)を立てていると、

同室のポーランド人兄弟がたくさんアドバイスをくれて、

安く移動できる方法をいっぱい教えてくれました。

値段にすると約一万円ぐらいは浮く計算。

いろいろネットを駆使して調べてくれて、

なんかすげー感動でした。

こんな方法があったとは!って感じで、

やっぱり地元(ヨーロッパ)のことは地元の人に聞くのが一番だね。


そしてポーランドにも行くことを話したら、

時間があれば遊びにおいでよー。と誘ってくれました。

そしてビールまで買ってきてくれました!

南米で出会ったトムもそうだけど、

ポーランド人と縁があるっぽい僕。

ぜひ時間があれば遊びに行きたいなー!
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by world_journey | 2010-07-31 13:00 | 34.スロヴァキア編

34カ国目 スロヴァキア

スロヴァキアとスロヴェニア・・・似た名前のせいで、

僕もホテルの予約を間違えちゃったぐらいです。笑

でもどちらの首都もこじんまりして、

田舎育ちの僕にはしっくりきてなんだか落ち着きます。

明日には早速ハンガリーに向かってしまうので、

今日はじっくり首都ブラチスラヴァの街を満喫しました。

中心にはおしゃれなカフェがたくさんあり、

遊び心たくさんのモニュメントなどもありました。
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一度はハンガリー帝国の首都としても栄えたこの街には

お城もあり小さいながら見ごたえたっぷりでした。
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by world_journey | 2010-07-31 12:00 | 34.スロヴァキア編

なんとなく来てみたかった街

リュブリャナから約5時間、

オーストリアの首都ウィーンにやってきました。

この旅初の西ヨーロッパです。

よくテレビで聞くせいか、

なんとなーく興味があったウィーン。

そしてヨーロッパで大きな影響力を持っていたハプスブルグ家。

通過してきた東欧の国々について調べていると必ず出てくるこの名前に、

僕が少しひかれつつありました。


そしてまずやってきたのが、

そのハプスブルグ家のマリア・テレジアなどが住んでいた、

シェーンブルン宮殿にやってきました。

ここはフランスのルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットも

幼少時代過ごしたという宮殿で、

モーツァルトが少年時代初めて人前で演奏した部屋もあります。
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女帝マリア・テレジアの娘は1人を除いて(マリー・アントワネットも含み)、

みんな政略結婚のために他国に嫁いだらしい。

華やかな生活を送っているように見える彼女たちも、

本当の意味で幸せにはなれなかったのかもしれません。


その後、ルーブル美術館などと並び世界3大美術館に数えられるらしい、

美術史博物館へ。
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芸術的センスがまったくない僕ですが、

ときどきこうやって美術館を訪れたくなります。

今回も何枚か心轢かれる絵がありました。


その後は街をひと歩き。

ウィーンの華やかな街を楽しみました。
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そしてー、

最後のお楽しみは甘いもの。

実はウィーンはケーキなどのお菓子が有名らしい。

みんながよく知っているのはザッハトルテとかかな。

でもあまりザッハトルテのよい評判を聞かないので(日本人には甘すぎるらしい!)、

僕はパイ生地でカスタードクリームとシナモン付けの果物が入った、

ストリューデルというケーキにしました。
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あ、

ウィーンには世界的にも有名な観覧車があるらしく、

ミーハーな僕は見てきました!

何かの映画のロケにも使われたらしい観覧車は、

バスみたいにカゴがながーーーい観覧車でした。

一人じゃ寂しいのでもちろん乗りませんでしたが・・・。
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リアルメリーゴーランド!
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by world_journey | 2010-07-30 12:00 | 33.オーストリア編

シュコツィアン洞窟群

今日は電車で2時間ほどかけて、

世界遺産のシュコツィアン洞窟を見に行ってきました。

知らない国を訪れた時、

どこに行けばよくわからない時は

とりあえず世界遺産を見に行くことにしています。


駅からは無料のシャトルバスが出ているのだけど、

数が少なく、2時間待ち。

待つことが嫌いな僕は、

45分のトレッキングコースで洞窟まで行くことにしました。
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これがなかなか複雑でわかりにくい標識探しのトレッキングだったけど、

それが逆にドキドキで良かったかな。
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なんとか40分ぐらいかけてなんとか洞窟があるインフォメーションに到着しました。


洞窟はというと、

よくあるパターンで中は撮影禁止!

最後の出口だけ撮影が許されているらしい。

でも欧米人はそんなの気にせず撮りまくっていました。

なんかそういうとこ変に真面目な僕は最後だけパシャリ。
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おまけ・・・
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帰宅後はまた街をお散歩しましたー。
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by world_journey | 2010-07-28 12:00 | 32.スロヴェニア編

32カ国目 スロヴェニア

クロアチアの首都、ザグレブから約2時間半かけスロヴェニアの首都、

リュブリャナにやってきました。

しかしあいにくの雨・・・、
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と思いきや、

雨の街もなかなか素敵でした。

雨宿りして寄りそう恋人たち、
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音楽の演奏に合わせて踊っている人々、
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そして雨のあとに虹!
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なんか幸せを感じた1日になりましたー。
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最後はカフェでまったり・・・。
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by world_journey | 2010-07-27 12:00 | 32.スロヴェニア編

演奏inザグレブ

首都ザグレブでも夕方の人が集まる時間帯を狙って、

路上パフォーマンスをしました。

もちろん僕じゃなくてね。

今回、僕は天平さんを撮影するカメラマン。

約1時間の演奏はモスタルの時よりもたくさんの人が足を止めて、

街にしみわたる音楽を楽しんでいました。


もちろん僕もビデオカメラで撮影しながら演奏を満喫。

ある時おばちゃんが「彼は友達?」と話しかけてきました。

僕は、撮影中だったのであまり話したくなかったのですが、

おばちゃんが何度か聞いてきたので、

「はい、そうですよー。」と言うと、

「あんなに素晴らしい演奏は聞いたことがない!」とすごく感動していました。

僕が「彼はプロのピアニストですよ。」と言うと、

おばちゃんは「やっぱり!」と納得顔でした。

おばちゃんは「こんなに素晴らしい演奏に少ししかお金を払えない自分が恥ずかしい・・・」

と言いながら、

お札をケースに投げ込んでくれていました。(感動・・・)


そのあともどんどん見学客が増えてきて、

演奏に合わせて踊っている子ども、

夫婦で仲良く腕を組んで聞いている年配のカップル、

携帯で写真を撮る青年たち、

たくさんの人が本当にいい顔をして演奏を聴いていました。

そんな彼らを見ていると、

演奏しているのは僕ではないのに嬉しくてたまりませんでした。

本当すごく気持ちよかったです。


演奏後は頂いたお金で夕食を食べに行きました。

昼間に散歩して見つけてなかなか雰囲気のいいお店で

ワインと一緒にクロアチア料理を堪能しました。

今日は本当心もお腹も満たされた一日になりました。
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おまけ・・・
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by world_journey | 2010-07-26 12:00 | 30.クロアチア編

ザグレブへの夜行電車

いつかまた帰ってきたい!そんな思いを持ちつつ、

ボスニア・ヘルツェゴヴィナを後にしました。

向かうはクロアチアの首都、ザグレブ。

ザグレブにはモスタルで出会ったピアニスト天平さんと

数日ではあるけど一緒に旅することに!!


今回の夜行の電車の中はなかなか面白かったです。

先日のモスタルのコンサートにも来ていたボスニア・ヘルツェゴヴィナで

1・2位を争うほど人気のバンドの追っかけをしている女の子と一緒になりました。

彼女は実はチェコ人です。

そのバンドがチェコに来てたまたま演奏した時に、

ハマってしまってそれから追っかけをしているとか。

バンドが演奏する都市&国を電車で追いかけているらしい。

なかなかパワフルな女の子でした。


次に出会ったのは、

京都大学の大学生。

隣のキャビンで日本語のガイドブックを持って座っていたので、

話しかけることに!

彼は3カ月という短期間で凄まじい距離を移動しているっぽい。

ほとんど宿に泊まることなく、

電車のなかで寝て、過ごしているらしい。

移動もひと都市に数時間しかいないこともあるらしい。

なかなかの兵でした。


その後はその京大生と同じキャビンにいたスロヴァキア人2人と

音楽などの話で盛り上がりました。

というか、天平さんの音楽の話ですが・・・。

天平さんの演奏してる映像を見たり、

NHKに出た時のドキュメンタリーを見たり、

やっぱ素晴らしい演奏&音楽でした。


最初はけっこう混んでいて眠れる状態ではなかったのですが、

別のキャビンを除くといくつか空いているキャビンを発見!!

天平さんと移動し、

4人掛けのシートに横になることができました。

ラッキー!

その後は天平さんと教育の話をしたり、

恋愛の話をしたり、

夢や人生についていろいろと話しました。

一人旅は決して嫌いじゃないけど、

こうやって誰かと言葉を交わしながら旅をするのはすごく楽しいです。
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by world_journey | 2010-07-25 12:00 | 30.クロアチア編

サラエヴォ包囲

小高い山に取り巻かれているボニスナ・ヘルツェゴヴィナの首都、

サラエヴォはその地形ゆえに戦争中大きな被害を受けることになる。

12,000人が死亡し、50,000人が負傷したと推定されており、

そのうちの85%が市民だった。
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サラエヴォ入りして僕が最初に向かったのは、

サラエヴォ・トンネル。

街を完全に包囲されて、地区の孤島と化してしまったため、

食料などの物資を調達することが困難だったサラエヴォ市民を救ったのが

このトンネルだと言われているそうです。

このトンネルは国際連合がその当時管理していたサラエヴォ空港の下を通り、

武器&戦闘が禁止されていた別の街につながっていたそうです。

全長約800m、高さ1.6m、幅1mのトンネルを約4カ月かけて、

市民とボスニア政府軍で掘ったそうです。

博物館は国ではなく民間人が管理&運営しているのだけど、

こんなに重要だったトンネルを

(個人的には)なぜ国が保存&管理しないのかちょっと疑問でした。

戦争の悲惨さをいつまでも後世に伝えるためにも、

きちんとした保全&管理して欲しいなーと思います。
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またサラエヴォには『スナイパーストリート』なる名前がつけられた道があります。

名前の通り戦争中にスナイパーがその通りを通る人を

狙撃&殺害していたためそのような名前がついたそうです。

この通りにはその当時ジャーナリストが滞在していたというHoliday Inがあり、

ここもかなりの銃撃のあとが残されていました。
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サラエヴォでは1984年、冬季オリンピックが開催されました。

もちろん僕はその当時、2歳なのでまったく記憶にありませんが、

そういうオリンピック中に建てられた施設も例外なく大きな被害を受けました。

スケートリンク場があった会場の近くに予備のグラウンドが設けられていたのですが、

戦争中、遺体を埋める場所がなかったため、

たくさんの遺体がここのグランドに埋葬されました。

お墓の周りをぐるりと歩くと、

全て1994年&1995年に死亡となっていることに気づきます。
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モスタル同様、サラエヴォでも全ての建物に銃撃のあとが残されていました。

その銃痕を見るたびに、ここでの戦闘の激しさが目に浮かび、

心が締め付けられる思いがしました。
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日本は第二次世界大戦を経験し、

戦争について学ぶべきことはたくさんあったはずなのに、

旅に出るまでは戦争というものをあまり理解していなかったような気がします。

どこか遠い昔のことで、遠い世界のことのように感じていました。

今こうやって世界を旅してみて、

戦争に悲惨さ、恐ろしさを痛いほど感じます。
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by world_journey | 2010-07-23 12:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編

コンサート

橋のたもとで出会ったピアニスト天平さんが

今夜モスタルのコンサートで演奏するということで行ってきました!

このコンサートの前進はとあるイギリスの音響会社が、

戦後5年に、復興の一環で行ったものに関連していて、

15年経った今、モスタルは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはどう変わったか

を確認するためのものでもあるらしい。

2000年のモスタルはまだまだ酷いもので、

道は整備されておらず、

いたるところに爆撃のあとが残されデコボコの道、

破壊された建物・・・本当に酷いものだったそうです。


今でも戦争の傷跡はいたるところに残されているけど、

今はだいぶ街らしくなってきたと音響会社の方がおっしゃってました。


コンサートの最初の1時間弱は未来のスターを発掘?というようなコンセプトに、

地元の学生やバンドが歌唱または演奏し、

1番を決めるというものでした。

みんな自分の知り合いが出るときにはステージの近くまで行き、

結構盛り上がっていました。

その後、天平さんの演奏、

そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナで1,2位を争うぐらいの人気があるバンドが演奏し、

コンサートは12時過ぎに終了しました。


コンサートの活気を感じていると本当にここで大規模な内戦が起きていたなんて、

それぞれの民族が殺しあっていたなんて信じられません。

聞くところによるとコンサートにはクロアチア人&ボシュニャク人どちらも来ているらしいです。

今でも住んでいる地域を違えている(橋を境に分かれているらしい)2つの民族ですが、

こうやってどんどん壁がなくなっていって欲しいです。


そうそう、

戦後5年のコンサートの時は、

かなり厳重な警戒態勢のなかでコンサートが行われたらしいです。

今回もありましたが、

ボディーチェック、荷物チェックにはかなりの時間をかかったらしいです。

もちろんその時もクロアチア人、ボシュニャク人両方来ました。

しかしその当時はまだ戦後5年と、少しぎくしゃくした様子はあったらしいですが、

その時のバンドが2つの民族が知っている共通の曲を演奏した時、

彼らは一緒にその曲を熱唱したそうです。
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by world_journey | 2010-07-22 13:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編

その時僕らは・・・

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が始まったのは1992年。

そして終結したのは1995年の春。

その時僕は小学生でした。(10歳~13歳)

と言っても遠い外国のことなどほとんど記憶になく、

社会の授業は好きだったのに何も覚えていません。

どうしてでしょう?

僕が不真面目だったのか、

それとも日本人にとっては外国で起きていることは

はるか遠く宇宙の果てで起きていることのように感じるのでしょうか。


戦争が終結して15年が過ぎているにも関わらず、

モスタルの街にはいたるところに戦争の傷跡が残っています。

ほぼ全ての建物に銃弾の跡があり、

半壊してるもの、廃墟となっているものなど15年前のこととは思えません。

全ての建物に銃弾の跡があるってことは、

本当に凄まじい銃撃戦だったのでしょう。


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は3つの民族の間で起きました。

セルビア正教会のセルビア人、カソリックのクロアチア人、

イスラム教のボシュニャク人。

この内戦での死者は約20万人、難民・避難民は200万人にも及んだらしい。


ちなみにモスタルではクロアチア人とボシュニャク人の間で激しい戦闘が起きた。

もともとクロアチア人とボシュニャク人はセルビア人勢力に対抗するために、

手を組んでいたのだが、

ボシュニャク人との間で対立が高まり始めるとセルビア人と同盟を組み、

モスタルのボシュニャク人地区は壊滅的な大打撃を受けたらしいです。
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Wikipediaの中から「民族浄化」について引用したいと思います。

『「民族浄化」とは、異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、

紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、

支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、

勢力圏を民族的に単一にする「民族浄化」が行われた。

「民族浄化」は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、

家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、

その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、

強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。

従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。

また、女性らは強制収容後、組織的に強姦を繰り返し、

妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。

家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、

女性を強姦によって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた。』

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by world_journey | 2010-07-22 12:00 | 31ボスニア・ヘルツェゴヴィナ編