ヨハネスブルグは南アフリカ最大の都市で
世界的にみても31位という大都市だそうです。
またヨハネスブルグの金融センターはアフリカ第一位らしいです。
しかしそれだけ発展しているだけに近隣諸国からの難民も多く、
たくさんの人が職を探しにここヨハネスブルグにやってくるそうです。
世界で最も危険な都市のひとつに数えられ、
町中を歩いて強盗に合う確率150%と言われています。
ま、要するにあまり観光客が訪れない、そんな場所です。
なぜそれなのに僕がこの都市を訪れようと思ったか・・・、
それはアパルトヘイトという恐ろしい人種隔離政策がここで行われたいたことが大きいです。
信じがたいことに、この政策がつい数十年前まで施行されていたという、
そんな昔のことではないということです。
1991年、当時の大統領により法律撤廃が打ち出され、
1994年に全人種による初の総選挙が行われ、形の上では完全に撤廃されました。
つまり僕が10歳ぐらい、小学5年生ぐらいまで法律のもとに差別政策が行われたいたことになります。
たぶん小学生だった僕でも差別がよくないことだって知っていたはずです。
それなのに、だいの大人がなぜ・・・。
その疑問が僕をヨハネスブルグに導いたような気がします。
僕はアパルトヘイトについてもっとよく知るために、
Sowetoツアーというツアーに参加することにしました。
SowetoとはSouth Western Townships(南西居住地区)の略で、
ヨハネスブルグの中心地から追い出された黒人たちが住みついた場所です。
アフリカ系住民の所有地を国土の9%と制限する原住民土地法などの影響もあり、
その後も空き地にバラック小屋がどんどん広がっていきました。
現在では政府の援助もあり、
小さいが新しい家が建てられたり、水道や下水が整備されたり、
よくなってきているらしいのですが、
いまだに無許可の居住区はたくさんあり、今現在も広がっているとか・・。
Sowetoツアーの最初は、
ヨハネスブルグ一高いビル?から街を見渡すことから始まり、
(駅周辺・・・強盗が多い)
(バスターミナル周辺・・・もちろん強盗多い。大都市のターミナルなのに人通り少なし・・・)
街を車で少し走り、
Soweto地区に向かいました。
僕たちが向かったところは、政府無許可の居住区らしく、
そのため家はすべてプレハブの建物で、
下水システムや学校もない環境でした。
(子どもたちは少し離れた丘の上の学校に行っているらしい)
クリップタウンという居住区に到着するとガイドは近くのボランティア施設で待機し、
二十歳過ぎの青年2人に連れられて居住区をまわりました。
(昔使っていたトイレらしい)
(毎回鍵をかけて使っている現在のトイレ)
(下水設備が整っていないから使用した水が居住区の中を通り、川に流れ込むとか。
そのせいで病気が広がったり、問題もやまずみ。)
その後訪れた、
ソウェト蜂起事件(学生デモで警官による鎮圧で多くの学生が亡くなった)の中心となった教会には、
警察の威嚇射撃の後や威嚇のために壊した祭壇がそのまま残されていました。
その事件で亡くなった当時14歳のヘクター・ピーターソンくんの名前をとってつけられた、
ヘクター・ピーターソン美術館を訪れ、ソウェト蜂起の当時の写真を目のあたりにしました。
最後はアパルトヘイト美術館に行き、
この人種隔離政策の恐ろしさをまじまじと知りました。
何度も何度もヨハネスブルグ行きをやめよう・・・と思ったけれど、
やめなくてよかったと本当に思います。
意識しないところで、
まだまだ僕の中に差別をする自分がいます。
いや、わかっていても差別をしている自分がいます。
そんな自分を見つめ直し、変わらなきゃいけないと心から思いました。
人間個人としての好き嫌いは別として、
人種や国境を越えたものの見方、人との付き合いができる人になりたいです。